偉大な業績を上げられた同志会の卒寮生を以下にご紹介いたします。
辻 荘一 先輩(つじ しょういち、1895年12月20日 - 1987年4月21日 )
1920年 同志会卒寮
日本の音楽学者、社会事業家、専門は音楽史。
東京帝国大学卒業。後に立教大学に奉職し、教授となる。戦後、音楽学会の設立に尽くし、初代会長となる。立教大学退職後は名誉教授となり、国立音楽大学教授に就任。また、立教学院日本聖公会系の社会福祉法人滝乃川学園"第8代理事長をつとめた。没後、荘一の功績を偲び、優れた音楽家を表彰する「辻荘一・三浦アンナ記念学術賞」が創設された。勲四等旭日小綬章受章。
1980年 キリスト教功労者
菊井 維大 先輩(きくい つなひろ、旧姓田中、1899年2月19日 - 1991年11月15日)
1923年 同志会卒寮
菊井 維大は、日本の法学者。専門は民事訴訟法。
東京大学名誉教授。長崎県長崎市出身。
石館 守三 先輩(いしだて もりぞう、1901年1月24日 - 1996年7月18日)
1925年 同志会卒寮
同志会 元 理事長
日本の薬学者、薬理学者。日本の薬学界のパイオニア。ハンセン病治療薬「プロミン」を合成し、多くのハンセン病患者を救った。また、日本初のがん化学療法剤ナイトロミン(ナイトロジェンマスタードN-オキシド)を創製した。
東京大学薬学部初代学部長、名誉教授、薬学博士、元日本薬剤師会会長。
1994年 キリスト教功労者
矢部 貞治 先輩(やべ ていじ、1902年11月9日 - 1967年5月7日)
1926年 同志会卒寮
矢部 貞治は、日本の政治学者、評論家。
東京帝国大学法学部教授、拓殖大学総長などを歴任した。従三位勲一等。政治学博士。旧姓横山。
長谷川 才次 先輩(はせがわ さいじ、1903年10月1日 - 1978年3月10日)
1928年 同志会卒寮
長谷川 才次は、時事通信社の初代代表取締役。時事画報社、内外ニュースの創業者。
1924年、東京帝国大学法学部に進学。在学中に寄宿した寮(同志会学生寮)では、矢部貞治(のちの拓殖大学総長)と同室となった。しかし、これまでの揺り返しであるかのように勉強に身が入らなくなった長谷川は、「試験を受けずに、ふらふらして」過ごし、3年で卒業するはずのところを1年留年した。何度も中退を考えたが、高校時代の恩師に諭されて思い留まった。
1975年 勲一等瑞宝章受章。
宮崎 章 先輩 (みやざき あきら、1905年2月15日 - 1988年8月9日)
1928年 同志会卒寮
宮崎 章は、昭和時代の日本の外交官。
愛知県出身。東京帝国大学法学部卒業。1929年外交官試験および高等試験行政科に合格、同年12月外務省入省。57年3月国際協力局長に就任。同局が翌58年5月に国際連合局に改編されるに伴い同局長となる。安全保障理事会における非常任理事国として日本の選出に貢献したほか、国連総会での核実験禁止決議採択に熱意を燃やした。1959年4月オランダ大使に就任。在職中に国連総会代表を兼任。1963年トルコ大使、68年5月より日蘭協会会長。
1975年 勲一等瑞宝章受賞
大塚 久雄 先輩(おおつか ひさお、1907年5月3日 - 1996年7月9日)
1930年 同志会卒寮
日本の経済史学者。専攻は英国経済史で、西洋諸国における近代資本主義、近代市民社会の研究で知られ、マックス・ウェーバーの社会学とカール・マルクスの唯物史観論の方法を用いて構築した大塚史学は国際的評価を受けた。
1992年 文化勲章
1994年 キリスト教功労者
村上悠紀雄は、放射化学の研究から温泉化学まで究めた化学者。
北里大学衛生学部教授、日本温泉科学会長などを歴任。
上野 賢一 先輩(うえの けんいち、1927年 - 2012年4月4日)
上野 賢一(英文はKenichi Uyeno)は、日本の医学者、エッセイスト。筑波大学初代皮膚科教授。
坂井 雄吉 先輩(さかい ゆうきち、1931年11月24日 - 2009年12月15日)
坂井 雄吉は、日本の政治学者。専門は日本政治史。
金井 務 先輩(かない つとむ、1929年(昭和4年)2月26日 - 2013年3月19日)
金井 務は、日本の経営者。元日立製作所社長、会長。京都府出身。
實方 謙二 先輩(さねかた けんじ、1932年11月20日 - 2014年1月23日)
實方 謙二(さねかた けんじ、1932年11月20日 - 2014年1月23日)は、日本の法学者。専門は、経済法・独占禁止法。特に、アメリカの反トラスト法を研究。法学博士(東京大学)。北海道大学名誉教授。神戸学院大学名誉教授。宮城県仙台市出身。「実方謙二」とも表記される。